ぬるい春風を感じると寂しさと不安に襲われてしまうのは、私が少年の心を失っていない証拠だろう。
9日土曜、10日日曜と春爛漫な陽気はもはや初夏を思わせるMAX26度を記録したという。
となるとマルタウグイ釣り。
待ってましたとばかりに多摩川へ繰り出したいところですが、いや待てよ、と。
この陽気じゃマルタの魚群を上回る数の釣り人の群れが予想される。
その様まるで、イワシの群れに襲いかかるマグロの大群のよう。
土日は大人しくしていることにしました。
待ちに待った11日月曜日。昨日ですね。
マルタ!出撃!。
最初のポイントは毎年マルタの他にニゴイや鯉さんとバラエティ豊かな顔ぶれが楽しめる場所。
しかし平日にもかかわらず既にポイントは釣り人がチラホラ。
じゃあ仕方ないということで、エリア内の小場所をチェックして回ることに。
各所にイイ感じの瀬と深場の絡む場所はあるのだが、マルタの航跡、背びれが見えない。
まるで先ほど釣り人が集結していた場所に魚が固まっているかのよう。
ああ、そういうことね、と来た道を引き返します。
しかし場所が空きません。
みなさんポツリポツリと良型のマルタを揚げていらっしゃいます。
うらやましい限りでございます。
ふと、もう一箇所のポイントへ移動することが頭をよぎります。
でも時間をかけて移動して群れがいなかったらどうする?
ここで待って場所が空いたら入れてもらうのが左脳的に妥当である。
釣り人たちを眺めつつ、適当な岩の椅子に腰を下ろします。
みちすがらのスーパーで買ってきたお団子とお茶で腹ごしらえをすることに。
腹が減っては戦はできぬ。でも釣りならできる。でも食べる。
足をブラブラさせながらお団子を食べます。
一串、二串、三串と平らげても釣り座はあかず。
マルタ中毒の患者たちがなかなか釣りをやめられないのは私にもよくわかります。
さて、もう一箇所のポイントへ行きたいと何かが訴えかけてきます。
移動先に群れがおらず引き返してくるようなことになったら無駄足だ。
もう少し待つのがスマートなイケメンがするべき振る舞いだろう。
ということで、昔付き合っていた女のことや、今好きな女のことなどに思いを巡らすことに。
女のことを熟考したところで、目の前の釣り人たちの釣欲は治まるところを知らぬよう。
これじゃ埒があかん。ということで移動を決断した。
エリア移動をして辿り着いた場所には他の釣り人の姿はない。
水際を歩きながら魚群を探すとマルタが立てる水しぶきを発見。
もっと早くこっちに来ていればよかった。
さっそく実釣開始。開始早々ヒット。すぐさま連発。
――これがマルタの醍醐味です。
釣れたりバラしたりを繰り返しながら効率的な釣り方にアジャストしてゆきます。
数メートル先にいるマルタを足元へ運んでくる仕事を黙々と繰り返していると飽きてきます。
いや、飽きるよりも先に酷使した手首が先に悲鳴をあげます。
手首の悲鳴と飽いた気持ちでそろそろ帰ろうかと思うのですが、すんなり帰れないのがマルタ中毒の恐ろしいところ。
「次の魚で上がろう」と思うのですが、「いや、今のは合わせがいまいちだった」とか「スレがかりだった」などと、イチャモンをつけてしまうのです。
それで次の魚で上がるつもりが30分も経過してしまうのです。
こうなるともう自分の中毒症状にパニック状態になり歯止めが効かなくなります。
水中ではマルタ達が興奮とパニックで水しぶきを上げています。
パニックというキーワードによって水中と大気中が一体となる奇跡が繰り広げられているのでした。
マルタ釣りを覚えた最初の頃はこのマルタ中毒の熱狂に犯されてしまい、手持ちのフックが延びきるなど、物理的に釣りが続行不可能になるまで釣りつづけ、身も心もマルタもボロボロになるまでやめられませんでした。
だが今の私は違う。生まれ変わったのだ。←何からですか?
適当なところで切り上げられる大人の余裕を身につけているのです。
次の魚で上がり、と決めたのでスパッと上がることにしました。
でもふと気が付いてしまいました。
諸事につけて、大人になる、大人の余裕を身につける、それすなわち情熱と体力が低下した、ということではなかろうかと。
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